うすた京介作品考メモ①「ツッコミ中毒、空に散るボケ」

出典

★『セクシーコマンド外伝 すごいよ!!マサルさん』6巻
コマンドー61「つっこまざることオクレのごとし」

★『ピューと吹く!ジャガー』9巻
第182笛「「ツ」のつくアレを込め!」

※以下「すごマサ」「ピ吹ジャ」と略す.


うすた作品にツッコミが初めて登場したのは恐らく『すごマサ』である .
それ以前の作品では、『ザ★手ぬきくん対物酢御くん(パート2)』(ギャグキング努力賞作品)にも、UFOマンこと『それゆけ未確認飛行物体男』(赤塚賞佳作、実質的なデビュー作)にもツッコミはない(ツッコミキャラがいないというよりは、異常に対して常識的な判断を下すという意味でのツッコミが存在しない).

うすた作品にお馴染み、主人公に振り回される平凡黒髪男子ツッコミキャラは『すごマサ』『ピ吹ジャ』『もうちょっと右だったらストライク!』『ポー』『フードファイタータベル』など複数の作品に見られる.

ただし『すごマサ』におけるツッコミキャラの代表はフーミンだが、マチャ彦もキャシャリン達も同コマ+同台詞でマサルにツッコむことがかなり多いため、複数人がツッコミの役割を担っているといえる. 

それが『ピ吹ジャ』になると、ツッコミが一人に固定されたペア形式になる.これは次の長編連載作品である『フードファイタータベル』にも引き継がれる.

 

フーミンとピヨ彦の類似性については、ピ吹ジャの公式ファンブックに「主人公に振り回されるフーミンがどことなくピヨ彦にソックリ!」と書かれている通りだ.

しかし、フーミンとピヨ彦のツッコミは明らかに違うところがある. その違いは、『すごマサ』コマンドー61と『ピ吹ジャ』第182笛を比較するとわかりやすい.

 

 

コマンドー61「つっこまざることオクレのごとし」は、フーミンのツッコミキャラとしての自意識を主題とした話である. 神回である. 

 

ツッコミが特技であることを認めたくないのに無意識に手がツッコミの形をしてしまう、普通の会話をフリだと思ってしまうなどの深刻な症状を呈し、最終的にはトイレで風呂上がりの恰好をしているマサルさんに遭遇してこれ↓である.

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これ↑からの「見た事もないようなまぶしい笑顔」である.
ツッコミ中毒者である.

 

注目すべきはその後のマサルさんの反応である.

フーミン渾身の大ゴマツッコミを喰らったマサルさんは、風呂上がりの瓶牛乳をあおぎながら「……? どうしたフーミン……?」と多少の違和感を示す程度である.
マサルさんはツッコまれたことに気づいていない.
しかしフーミンはそれで満足しているのだ.

 


次に『ピ吹ジャ』第182笛を見てみる.

この回はジャガーさんの夢オチだが、本人曰く「悪夢」である. 一体どんな悪夢を見たというのか.

 

季節は冬. ジャガーさんピヨ彦に対し、なんでこんな寒いのかとパンツ一丁で尋ねる. すると「ウチに暖房器具がないからじゃない?」と平然な顔で答えるピヨ彦. ジャガーさんはパンツ一丁のままピヨ彦と一緒に家電屋まで行くが、そこでもボケは全てスルーされ、普段と違うピヨ彦の様子に動揺が隠せない.

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ピヨ彦がツッコまないせいで、こたつはおろか服も着れないジャガーさん.

最終的には「花火」でネタをやると宣言し、花火となって空に散るという体を張りに張った渾身のボケをするが、イヤホンで曲を聴いていて全然見てないピヨ彦.

 

ジャ「…という 悪夢を見たよ」
ピ「うん…………………」

 

終わり.

 

「いい加減にしろ!!空気読めよピヨ彦!!」「何年この世界やってんだーーーー!!」は屈指の名言である. ジャガーさん(つっこめーーー!!)という心中台詞も見られる貴重な回だ.

 

これは、先ほどのマサルさんのリアクションとは対照的である.
マサルさんがツッコミを欲しがるのは、セクシーコマンドを決める目的に限られている.日常会話においては、ツッコまれることなど予期していない.

一方でジャガーさんは、夢の中とはいえツッコミが無ければこたつはおろか服も着れず、最終的には花火となって空に散ってしまう.

 

ここから、『すごマサ』と『ピ吹ジャ』のツッコミの役割の違いが見て取れよう.

『すごマサ』のツッコミは、マサルさんの異常行為を読者に対してより際立たせるのがメインだ. 基本的にその宛先はマサルさんではなく読者である.

マサルさんはツッコまれていることにほとんど気づかないし、気づいたとしても何がどうズレているのかは理解していないように見える.

(ズレたことを意図的に言っている数少ない例としては、コマンドー62「原チャリ名人 風防で風をしのぐの巻」の「轢ける!」という台詞. その後の「ハハハ…!ほんのちょっと背のびしたかっただけさ…!」から、本意でないことを示しつつもその動機はズレている)

また、コマンドー61におけるフーミンのツッコミは、典型的な修辞疑問文となっている.修辞疑問文とは、疑問文の形だが、実際に相手に尋ねることを意図しているわけではない文のことだ.
例えば「なんでやねん!」はボケに理由を問うているのではなく、あくまでボケをボケとしてマークすることを意図している.フーミンの「なんでだーーーーーっ!!!!」も同様だ.

 


一方、『ピ吹ジャ』におけるツッコミの宛先はボケのキャラ(主にジャガーさんである.

ジャガーさんは基本的にツッコまれたことや、それが指し示す内容は理解している.その上で、相手の指摘を強弁や屁理屈でやり込めようとするくだりが多い.
ピヨ彦のツッコミに対してジャガーさんが返事するシーンも多く、ピヨ彦も返事が来ることを想定してツッコんでいるところがある.ピヨ彦が「なんでだよ!?」というときは修辞疑問文というより疑問文である.

 

参考

8巻 第158笛「模様じゃなくて穴なんですよアレ」 (数字=コマ)

 

①ジャ「オレだってあんな破れた服ホントは恥ずかしいんだぜ」
ピ「ええ!?デザインじゃなかったのアレーーー!?」

②(次ページ)ジャ「デザインじゃないよ… 買った時は全部この状態なんだけど 自然にあの形に破れるんだよ」
ピ「いやそんな不自然な自然現象ないよ!何かやってるんでしょ自分で!?」

③ジャ「バカ言うなよ 自分で破るわけないだろ 今回だって二着同じの買ったんだけど 一着目のはホラ…」

④ジャ「今日偶然フェンスにボタン引っかけちゃって…」
 ピ(セイって何だーーー!!)

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⑤ジャ「ホント世の中には不思議な現象があるもんだよね」
 ピ「不思議じゃないよ!明らかに今 自分で破いてたじゃない」

⑥ジャ「だからそんな訳ないだろ… もう今まで何十着とやられてるんだから もうこの一枚だけは絶対守り通したいんだよオレ」

⑦ジャ「さてと…」

⑧ジャ「ちょっと外行って激しい動きでもしようぜ!」
 ピ「やっぱ破る気だろこの人―!!」

 

ピヨ彦のツッコミに対して「デザインじゃないよ」「バカ言うなよ」「だからそんな訳ないだろ」と否定文で返答し、2ページに渡って会話が成立している.

『すごマサ』の場合、マサルさんがズレたことを言って脱線するか、どこまでツッコんで掘り下げてたところで埒が明かないためことを諦めるかして、ここまで会話が続くことはないだろう.

 

基本的にジャガーさんには、“わかってやってる”ようなところがあって、相手の動揺や嫌がっている様を面白がっているシーンが多く見られる. しかしどこまでが真意なのかは不明(例えば、第121笛「悪徳セールスにご用心」はどの時点でセールスマンをやりこめようと意志したのかわからないし、第210笛「覇邪の封印」はどの時点で幽霊=親父だと気づいたのか、そもそも気づいていたのか、気づいていたとしたらなぜ知らないふりをしていたのかがわからない.本気の(ように描かれる)リアクションが時に読者をも裏切ることがあるのだ)

(ちなみに全20巻の中でジャガーさんの性格が公式に「ドS」と評されるのは、第246笛のアベさんの心中台詞(マゾどころかドSだこの人―――!)と、ビリーがツッコミの天才になった第384笛「残念な天才」のピヨ彦の台詞「バ バカなぁ!あのドSのジャガーさんが叩かれて喜ぶだなんて…」の2回である.
また、この「相手の嫌がる姿を見たい」性格はタベルに受け継がれている)

 

とはいえこれは、ジャガーさんマサルさんの(ピヨ彦とフーミンの)キャラや関係性の違いというよりは、両作品のギャグ・ボケの種類が違うことに起因していると思う.

(そもそもうすた作品のキャラクターは同一性がぼんやりしているところが特徴で、キャラクター解釈は非常に困難である)

 

『ピ吹ジャ』は第1笛から既にジャガーさんの詭弁・強弁が発揮されているが(「じゃあ吹かなきゃいいだろっ!!?勝手にしろ!!!」)、この手の論理の破綻を使ったボケは、まず会話が成立していることが前提である.

実は『ピ吹ジャ』には意外とこの手のボケが多い.詭弁、強弁、屁理屈、誤魔化し….
だからこそ、ボケ1人にツッコミ複数人ではなく、ボケとツッコミのペアでかけあいをする必然性が生じる.

 

うすた京介のギャグ漫画には、多分に演芸的なお笑い・漫才を意識しているところがあり、『すごマサ』廉価版に収録されている三村マサカズとの対談では、三村がうすたのギャグの「間」を褒めたのに対して、「しゃべりならいいのに」と思うことがある、と返している.

(参考:『ユリイカ2005年2月号 特集=ギャグ漫画大行進』収録「不可解な歌と、笛の音にのせて。 うすた京介と第三世代の笑いについて。しかも、とりとめなく。」(足立守正))

 

「間」に加えて、台詞の厳密さはとりわけ『ピ吹ジャ』の特徴だと考えられる.ビリーとハマーがお笑い芸人=漫才師を目指す回もあるが、この先品に至って漫才的なものに近づいていった感じがする.ちなみに、連載が開始されたのは2000年だが、M-1が始まったのはその翌年、2001年のことである.

『すごマサ』のギャグは、コント的である.『すごマサ』ではコマンドー61のようにトイレが風呂になったり、部室に風呂が突然できたりする.空間自体を風呂化してしまうところにマサルさんの異常性・超人性があるのだが、これはシチュエーションコント的ではないだろうか.

 

コントから漫才に、とまとめるのは少し粗すぎるが、しかし少なからずそういった傾向があるように思えるのである.

 

 

もし書く余裕があれば、次回は『ピ吹ジャ』の台詞の構造分析や、ジャガーさんの詭弁の仕組みなど、言語に関する事柄を調べてみたい.

 

まあギャグについて云々するとかそんなことは無粋でしかないのだが、うすた先生はご自身の作品に関するファンの書き込みや評価などは見ないとインタビューでおっしゃっていたので、もう好きなように書こうと思う.

 

(ツッコミ=修辞疑問文の議論については、早稲田文学2020年夏号収録の 大岩雄典『怯えとツッコミ―――千鳥、トム・ブラウン、まんじゅう大帝国、ぺこぱにおける漫才の「加減」』を参考にした)